99.09.06

山本雅子句集「月明」鑑賞


黄のダリヤ

轍 郁摩

たましひのあつけし草にかくれけり
月明や死したる人に忘らるる
うららかや死後の見えたる水の際
眠たくてさくら月夜に呼ばれをる
春時雨死ぬ愉しみをとっておく
栂ざくら口笛父に習ひけり
根魚釣おもはれびとにならざりき
冬扇を塚本邦雄つかひけり
櫓田はかの世の境逢ひにゆく
恋死ぬかげんのしようこの花嗅いで
黄のダリヤ咲くときにこそ師を思へ
もう男かよはさざりき冬支度
冬わらびしばらく誰も死なざりき
橙に太陽と吾老ゆるなり
ゐない子のために薺を打ちにけり

 

 私が初めて高知鷹句会に誘われ出席したとき、十人ほどの句会であったが入口近くに座っていたのが山本雅子であった。それから幾度か句会場の変更はあったが、いつも定刻30分前には現れ、鷹同人として句会の指導者的存在であるが、今もって末席近い場所に、にこやかに座っていることに変わりはない。
 過去の名句の暗記力に優れ、「このような句が○○さんにあります」と滔々と詠じ、作者の気持ちを大切にしつつ、類想や類型を指摘してくれるのである。

 冬扇を塚本邦雄つかひけり

 鷹の記念大会に参加して、来賓の塚本邦雄を見かけた折をそのまま詠んだ句であろう。
 何も飾られてはいない。しかし、歌人塚本邦雄を知る者が読めば、まさに膝を打ち納得。暑がりの塚本は、扇を手離すことなく、忙し気に動かし続ける。暖房が暑ければ上着を取ればよさそうなものだが、彼の美意識がそれを拒み、白いスーツですっくと立って、近くの誰かと早口で話し続けている。
 この「冬扇」には、そうした現実的な使用目的とは異なった、一般からは無用物とされつつある「短歌」に彼が心底命を掛ける凛々しさが匂い出してくるのである。 「俳句」もまさにそれと歩みを同じくし、いくら俳句人口が増えたとしても、言葉遊びの五・七・五、「オハイク」が粗製濫造されるならば先は無いとでも暗に諭されるように扇の音が響いてくる。
 雅子が塚本と言葉を交したとは思えない。しかし、彼を見かけたその瞬間に記憶の中の塚本文学と実在者を、「冬扇」として象徴させた感性には驚かされる。

 黄のダリヤ咲くときにこそ師を思へ

 句集「月明」には、湘子先生の選を受けた句から三百句足らずが厳選され、見開き四句仕立てで並べられている。うわさに聞いた高知の「夏爐」や、かの「雲母」に掲載された句は一句も残っていない。湘子主宰を信じる見事としか言えない潔さである。句集のカバーを取れば、自筆水彩「菜の花」の表紙絵が隠されていて、その描画の的確さは俳句に通じた鮮やかな手技と言える。

 恋死ぬかげんのしようこの花嗅いで

 「吟行会」と聞いてまっ先に駆けつけて来るのは雅子である。額の汗をハンカチで押さえつつ、小走りに息を切らせながら、誰よりも先に来ているはずである。
 草花や小鳥の名前に詳しく、「あつけし草、白玉草、小米花、思ひ草」など、あまり花鋪では売られていないような野草が一句として提示される。読んだ瞬間はその野草が思い浮かばず雰囲気くらいしか解らないのだが、後になってその花を知るにつけ、忘れられない一句として記憶させられてしまうから、これも雅子の紡いだ俳句世界の技なのかもしれない。
 知り合って十年程たったある時、雅子の本名を知る機会があり驚いたことがある。まったく本名とばかり思っていた「雅子」は、生活者とは一線を画した俳人なのであった。現実によりながらも、少し宙に浮いたような抒情俳人の視線は、うつつと彼岸を行き来できる作者の創造によってもたらされていたのである。

 きのふ射てとびつづけたる草矢かな

 句集には収載されていないが、この想像力があればこそ、眼前の吟行素材を透かし見て、只事とは異なる雅子俳句の世界が広がるに違いない。放たれた草矢は、いったい誰に向かって今も飛び続けているのであろうか。

 




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