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2024.05.06(Mon)
岡本雅洸 追悼
今年は、5月5日が立夏。
「鷹俳句会」月光集同人、岡本雅洸さんのご逝去を悼み、
「岡本雅洸 追悼」を作成。
「蝶」267号(2024年5・6月)に掲載された拙文と「岡本雅洸30句 選」を収載しました。
これまでに、岡本雅洸さんの句集はありません。
そのため、「海嶺」「蝶」「鷹」誌などに発表された俳句から厳選しました。
農家の長男に生まれ、已む無く林業関係に携わり、人と人の繋がり、生活、人を視る寧らかさにあふれた名句を残されました。
高知県に、このような俳人が存在したことを、永く記憶に留めて頂ければ幸いです。
また、「蝶」267号には、味元昭次氏選による「雅洸50句」が発表され、次号でも50句、合わせて100句を愉しむことができます。
なお、蝶誌の合同句集「Ⅰ〜Ⅲ」の雅洸自選作品は入れずとのこと。
「岡本雅洸 追悼」へ
2024.02.10(Sat)
2024年、太陰暦の謹賀新年
柳緑花紅 - 1月1日、午後4時9分。能登半島にM7.5の地震発生。
最大震度7の大地震。津波、火災、道路・家屋破壊他、多大な被害や死者、負傷者が出てしまいました。この悲惨な状況は、今も続いています。
これ以上の大災害が起こらず、閉塞に向かうことを願うばかりです。
AIの進化は予想していましたが、ChatGPTの登場と、この一年の進化普及には驚嘆させられました。使って見ると学習データベースの未熟さから、求める正しい回答が得られないケースがまだまだ多く、真偽を見分ける能力の大切さを痛感します。
全てに「健全なデジタル社会」が不可能であったとしても、より良い世界を望む気持ちだけは失わず、可能な限りの努力は続けたいものです。諦めないで、疑問を持ち続け、未来に向けてできることを。
皆様のご健康とご多幸を祈り上げます。
年賀状の代わりに、期限付きで下のリンクを公開します。
◆ 太陰暦 謹賀新年 -- 2024open(PDF)
はやく復旧、復興が叶いますように!
2023.10.30(Mon)
石川充宏先生の作品展(東京)へのご案内
石川充宏作品展(〜鍛金を歩んだ50年〜)
開催 :2023年 10月30日〜11月24日
(ご注意:残念ながら 土,日,祭日は休館です)
会場 :東京、天王洲セントラルタワー 1F・ アートホール
【2023-10-30】今日からオープンです!
鍛金工芸アーティスト「 #石川充宏 」先生の東京・天王洲セントラルタワー、アートホールでの作品展のご案内です。
NEWS
10月30日(月)〜11月24日(金)まで
そして、先生の輝かしいプロフィールなどは、下記を御覧ください。
BRIEF
例えば、
1975年 全国県展選抜展「Girl in Chair Ⅲ」 文部大臣賞受賞
1977年 日本現代工芸美術展「陽春・女」 文部大臣賞受賞
2010年 日本現代工芸美術展「恋する王妃 II」内閣総理大臣賞受賞
2015年 改組 新 第2回日展 「佇む王妃」 文部科学大臣賞受賞
昔から公開していたページもあります。
Ishikawa Mitsuhiro 2
2023.05.06(Sat)
橋村一彦・橋村るみ 現代工芸陶芸作品展
不連続の連続
- その先に生命をみる -
年月日 :2023年 5月20日(土)・21日(日)
時間:10:00 〜 17:00
会場:土佐清水市立市民文化会館
陶芸作家、橋村一彦さんの思いは、「自分が生まれ育った地方の土佐清水からでも、
種を植えていれば、芸術の”新芽”がでてくるかもしれない。そのお手伝いが少しでもできれば」と言うものでした。
3年前、橋村るみさんと二人の小さな陶芸作品展を計画。
ところが新型コロナウイルス騒動で、予定した日程が、延期に次ぐ延期。
しかし、その間に高校の同級生や仲間、知人が開催実行委員会を立ち上げてくれたそうで、
いつしか高知県幡多郡・土佐清水市のイベントとして広がり、会場は土佐清水市の「市民文化会館」に決定。
たった2日間だけ開催とは、実にもったいない日程ではありますが、
より多くのご来場者があれば、四国西南端の活気お越しのイベントにもなるでしょう。
皆様のご来場賜りますように!!
ちなみに、橋村るみさんの父、田辺陶豊先生も板作りと呼ばれる陶芸技法を特徴とした日展入選作家でした。
■ 日本の陶芸家(田辺陶豊)
■ はたも〜ら(橋村一彦・橋村るみ)
かつての「カレントクラフト展」の仲間、日本現代工芸、
日展の仲間の 橋村一彦さんと橋村るみさん の陶芸作品展が開催されます。
たった2日間のイベントですが、本物の芸術作品に触れる機会として、
ぜひともお誘い合わせの上、ご来場下さいますように!
2023.05.02(Tues)
2023年、5月の風を・・・
高知城追手門の近くに、二代目「山内一豊公之像」の騎馬像がある。
初代の彫刻は、大正時代(1913年)に高村光雲の弟子・本山白雲が制作したものだが、
昭和十九年(1944年)に戦争の金属不足を名目に取り壊され供出されたそうだ。
そして、平成八年に復元。髭のある顔つきが立派すぎるのは、きっと白雲が彫刻家として、
肖像画などを参考に一豊公よりカッコ良く作ったものを再現したからだろう。
車からでも、高知城歴史博物館前の角を通り過ぎる時に見ることができるほど大きい。
世間一般では、馬を引いた「山内一豊の妻の銅像」のほうが有名だが、
高知城内の杉の段まで石段を登らないと見えない。
おそらく、高知の街(城下)に出かけても、高知城に登るのは
観光客か健康目的でスポーツを日課にしている人達くらいだろう。
米国、ニューヨークのリバティ島にある自由の女神像は、
鉄の骨組みの外側に銅板を張り合わせた鍛造製で、完成までに約10年の歳月を要したと言われる。
重さ225トン、フランスで制作・解体して蒸気船で大西洋を渡り、1886年に組み立てられた。
一豊公の騎馬像は、ブロンズ鋳造製だと思われるが、国産としては、日本国内でも最大規模のものらしい。
重さ3.6トン、台座5.08m、高さ4.32m。
参考:騎馬像の居場所(大坪潤子)
http://www.himoji.jp/jp/publication/pdf/seika/801_01/02-265-272.pdf
2023.01.22(Tues)
2023年、太陰暦の謹賀新年
實相無相 - 2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略戦争。国際連合や国際法の無力さと、悲劇のただ中にある人々を救うすべなき無力さを、毎日のように、テレビやインターネットで見せつけられています。
神仏に祈っても無駄なことは諦め、新型コロナ感染症、インフルエンザにも負けず、今は体力を温存し、AIの進化による「来る時代」を待ちわびています。
AIが無くても、私達は再生できるでしょうか?
皆様のご多幸とご健康を祈り上げます。
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◆ 太陰暦 謹賀新年 -- 2023open(PDF)
はやく平和になりますように!
2022.05.21(Sat)
子にほほゑむ母にすべては涼しき無 髙柳克弘
Amazonに発注した鷹編集長・髙柳克弘さんの第三句集『涼しき無』が到着。出版は、ふらんす堂。装幀は、和兎さん。
2016年から2022年春までの350句を収録。
カバー裏には自選15句が、縦書きで印刷されていた。
まずは、御出版おめでとう!
そして、益々のご活躍を祈念します!
句集『涼しき無』
名をもらひ赤子も花の世の一人 克弘
なるほど、季語の「花」をこのように使うのかと初見で感心。
今読んでも、祝福されるべき第一子であったろうと慶賀。
どっさりと星ある夜の蛙かな 克弘
俳句に「どっさり」を持ち込む力技。そして、この星々と鳴き交わす蛙たちや地球上の命が永遠に続きますように。
また、大都会の下水管が老朽化し、断裂し、大惨事になろうとも、幼子が成長し次の世代へと続きますように。
ご購入は、
Amazon、句集『涼しき無』、あるいはふらんす堂へ。
参考:「・・子供を詠んだ句が多いが、この句集に出てくる子供は、私の息子でもあり、戦場のみなしごでもあり、安寿厨子王でもあり、あるいは私自身でもあるだろう。」(あとがきより)
2022.02.01(Tues)
謹賀新年、(旧正月年賀)その1
令和4年2月1日の月齢は、29.4、つまり新月。
太陰暦の正月となりました。
明けましておめでとうございます。
正月でさえお飾りをしない家が多くなり、
旧正月にお飾りをしていると、近所から変な目で見られそうなので、
今年も、玄関先はさっぱりしたものです。
自分に「さあ、今日から一年が始まるぞ」と言い聞かせ、
新たな創作活動に励みます。
2022.02.01(Tues)
旧正月年賀、その2
今年も、インターネット実験をしています。
本日の朝食は、コーヒーとサラダとヨーグルト。
小さなチーズをひとかけら。
昨年は、新型コロナ感染症の予防注射に発熱しましたが、
そのほ かは、いたって健康に過ごしています。
七宝制作に彫金や漆を使った新たな技法を開発中です。
また夜は、市民大学に出かけ惑星や人工衛星の話を聞いたり、
俳句鑑賞も続けてきました。
皆様のご多幸とご健康を祈り上げます。
下のリンク(A)と(B)もお試し下さい。
(注:このページに戻るには、ブラウザの戻るボタンを!)
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◆ 太陰暦 謹賀新年 -- 2022open(PDF)(終了)
本年のご多幸とご健康を祈り上げます。
2022.01.01(Sat)
牧谿の虎濛々と去年今年 飯島晴子 『八頭』
年が改まった。今日より、令和4年(2022年)となる。
私は旧暦主義者なので、2022年2月1日が元日なのだが、
あまりにも世間が騒がしいので、少し目を瞑ることにした。
牧谿 虎図 (徳川美術館所蔵)
「牧谿の虎」とは、中国南宋末から元初を生きた臨済宗の禅僧牧谿(もっけい)が描いた水墨画の虎のことである。
大徳寺にも『龍虎図』があるが、私は、こちらが好みである。
牧谿は、本場の中国では有名にならず、そのほとんどの絵が日本にある。そして、鎌倉時代から日本の水墨画に大きな影響を与え、線描のみならず、独特な技法により描かれた湿潤な大気を実感させる画法が特徴とされている。
私の好きな長谷川等伯も熱心に牧谿を学んだとされ、
『松林図屏風』にもその成果が見て取れる。墨色だけで描きながら、空間の間取りや濃淡に、日本人独特の感性が作用したものだろう。
飯島晴子さんの句は、昭和58年(1983)の作。句集『八頭』所収。
1987年、『自選100句選 飯島晴子集』が出版されたとき15冊購入。その時、無理を言ってそれぞれに一句ずつ違った句をご揮毫頂き、高知の仲間たちと分け合ったが、その中にこの句を書いてもらった記憶がある。今は誰がその句集を得たのかも忘れてしまった。
しかし、晴子さんの字は、実に力のこもった、いつも真摯さのあふれるものであったと懐かしく思い出される。
2021.12.01(Wed)
死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 藤田湘子 『てんてん』
高知城や五台山の紅葉が見頃を迎えている。
花も紅葉も、見頃はほんの1週間。
長くて2週間といったところだろう。木によって開花時期や紅葉の色付加減は異なるが、それらの重なり具合が最も美しくなる期間は毎年限られている。
さて、2020年1月1日から、湘子先生の俳句を選んで鑑賞を試み、WordPressのブログに公開してきたが、
先月の11月24日で、予定の百句鑑賞を達成できた。
そして、今日12月1日、「百句鑑賞を終えて」を発表した。
リンク「藤田湘子の百句鑑賞」
毎週一句鑑賞、2年継続で100句になった。
同時発表してくれた鷹俳句会同人の野本京の協力に感謝したい。
発表時期を考えながら2ヶ月前に原稿をまとめていた。しかし、季節に合わせられないため、鑑賞したい句を割愛する結果ともなった。
しかし、次回があるなら、「湘子先生にはこんな名句があるんだが、君は知らないだろう」と、言えるような句をもっ
と探し出して鑑賞してみたい。新発見の驚きを込めて。
2021.11.17(Wed)
四万十川の沈下橋
【沈下橋を歩いて渡ったことがありますか?】
高知県の西部を流れる四万十川は、昔は「渡川」と呼ばれていた。
ところが、1980年代以降、家庭画報で紹介されたり、テレビやラジオで「日本最後の清流・四万十川」と放送され、四万十川のほうが知名度が高くなり、地元の要望を入れ、1994年7月25日より、正式名称が「四万十川」と変更になった。
長さは196kmと測定され、最も長くなる源流点を探したとのこと。つまり、194kmの吉野川を抜き、どうやら今では四国はおろか、西日本一長い川と呼べるようになったそうだ。
(日本の河川の長さランキング、11位)
しかも、高知県内だけを流れてこの長さなのだから驚く。
また、河口にあたる「中村市」も、2005年4月10日の市町村合併により、今は四万十市となっている。
今年は、なぜか四万十市に縁があり、もう何度も四万十川を横断した。新しくできた橋ばかりではなく、昔からの「沈下橋」をいくつも渡った。また、屋形船で近くまで行って見上げたり、岸の川柳の日陰で風に吹かれながら見惚れたのも新鮮であった。
川幅が広く、立派な橋を掛けるにはあまりにも大変なため、大雨で増水すれば橋の上を水が流れる。そして、潜水しても水流の中で耐えられるように、欄干の無い「沈下橋」(ちんかばし)がいくつも造られた。
四万十川は、支流も多く実際には約60余りの沈下橋があるそうだが、1998年「四万十川沈下橋保存方針」が策定され、そのまとめによれば、市町の道路・農道・林道台帳に記載され管理者がはっきりしているものは、現在、本流に22橋、支流に26橋の合計48橋となっている。
四万十川の河口から順番に、本流の上流へと、
・今成橋(通称:佐田沈下橋)/ 橋長:291.6m
・三里橋(通称:深木沈下橋)/ 橋長:145.8m
・高瀬橋(通称:高瀬沈下橋)/ 橋長:232.3m
・勝間橋(通称:鵜ノ江沈下橋)/ 橋長:171.4m
・屋内大橋(通称:口屋内沈下橋)/橋長:241.3m
しかし、屋内大橋は、2010年8月に橋脚の崩落やひび割れ、路面の陥没が発見され、その後10年あまり通行止めになってしまったのである。
そして、今年のGW初日の4月29日に、やっと復旧した。
ここでは、景観を守りつつ補修強度を高めるための工夫として、新たに橋の裏側に炭素繊維を固定する「アウトプレート工法」が採用されている。(総事業費9億3千万円)
もちろん欄干は無く、一般車両の通行も可能ではあるが、人が何人も歩いていると実に恐ろしい。
屋内大橋の上流へ【撮影:2021.11.15】
屋内大橋(右手が上流)【撮影:2021.11.15】
屋内大橋の下流へ【撮影:2021.11.15】
なお、河川行政用語では、沈下橋のことを「潜水橋」と呼んでいる。また、通常の橋は「永久橋」や「抜水橋」と呼ばれ、当然ではあるが、増水になっても橋の床板が沈まない高さに設けられている。
四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら
俵 万智
第二歌集「かぜのてのひら」より
俵万智さんの短歌を初めて読んだとき、光の粒が見えるようで、なんて素敵な歌なんだと思った。しかし、「四万十川」と書いて、振り仮名に「しまんと」としてもらえなかったのが、残念でたまらなかった。
2021.05.05(Wed)
鷹との出会い「約束の例句」
「俳句ができないのよねえ」と、クラシック喫茶『リベルテ』のママ、大野稜子さんが嘆いていた。仕事の昼休みにコーヒーを飲みに出かけた時のことである。
「貴方がいつも好きだと言っている塚本邦雄が、この鷹の雑誌に連載してるわよ」と、手渡してくれた。
あれは、もうXX年も前のこと。鷹には、「詩趣酣々」と題した読応えのあるエッセイが載っていた。鷹編集長は、「永島靖子」さんであった。
誰に習った訳でもないが、夕方までに、塚本風短歌の上の句のような十句をさらりと仕上げ、江戸千家の看板を掲げた大野さんの茶室に届けたのだが、「うーん、ちょっと違うのよね」と、怪訝な顔をしながらお茶を点ててくれた。
翌日、大野さんに俳句を指導しているらしい中年の揚田蒼生さんにその紙を見せ、二句くらいは採れるとの返事であった。
「毎月1回、句会をやってるから、一度見に来てみなさい」とのお誘いも頂いた。
鷹に投句する気持ちなど毛頭無かったのだが、翌年6月、藤田湘子指導高知句会が開催され、句会と懇親会にも出席させてもらった。高知の宴会では、年下から先輩に盃と酒を持ってご挨拶に伺うのが礼儀なのだが、懇親会が始まってすぐ湘子先生が私の席の前に来て座り、「高野素十の俳句はどうだ?」と質問された。しばらく話すと、「今度、俳人の一物俳句の例句を書いてやろう」とまで約束してくれた。
少し経ってから、揚田さん経由で、一枚の紙をもらったが、それは湘子先生からの例句であった。まだ、鷹の会員でも無かった私は、その当時、湘子先生の俳句の良さが全く分からなかった。しかし、流石にここまでしてくれる人なら信頼できると思い、その年の11月号から投句を初め、湘子先生亡き後も休みなく継続している。
2021.01.29(Fri)
きらきらと敗れしごとく橇急ぐ 藤田湘子 『白面』
俳句や短歌は縦書きでなければと、今は思う。
俳句初学の頃、横書きで使っていた俳句手帳を湘子先生が覗き込み、「郁摩も横書きなのか・・」と落胆されたのを鮮明に記憶している。
実はその時、隣りにいた当時の鷹編集長の大庭紫峰さんも横書派だったのだから、今の若者は・・・と思われたのだろう。
さて、インターネット技術もかなり進歩し、Webサイト作成にも縦書タグが使えるようになってきた。
(ただし、使い勝手が悪く問題はあるが、そこは目を瞑る)
そこで、元号も改まった令和元年(2019)の秋に思い立ち、湘子先生の俳句鑑賞を試み、昨年(2020)の1月1日から、公開してみようと考えた。(手法は、既存のWordPressを使用とする)
あれこれ試行錯誤したが、結局、ディスクトップとスマートフォン、iPadなどでは表示形式が異なるため、標準では縦書画像を貼り付け、クリックすればPDFで編集した縦書鑑賞文が読めるようにした。
サイト名は、「藤田湘子の百句鑑賞」と決め、毎週一句鑑賞、2年継続できれば100句にはなるだろう。
ただし、ひとりでは怠け心が出て途中で休んでしまいそうなので、鷹俳句会同人の野本京にも鑑賞してもらい、毎週水曜日に2人分を掲載することにした。
1月27日の「きらきらと敗れしごとく橇急ぐ」で、第57回になる。無事50回は過ぎて居るので、このまま何もなければ100回まで行けるだろう。
今になって思えば、昨年から、世界中が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響下に有り、様々な自粛生活を強いられており、こんな時は原稿でも書いて気分を高揚させるのが健康法のひとつかもしれない。
2021.01.01(Fri)
謹賀新年
2021年、本年も宜しくお願い申し上げます。
2020.08.14(Fri)
星飛んで木槿も花のをはり頃
藤田湘子
星を見るのが好きである。
星座や天体に詳しい訳ではないが、季節や時間により、さまざまな位置を占め、その輝きを放っている。
もちろん大きな星や惑星がより目に入りやすいが、芥子粒のような小さな光にも魅了される。
2020年8月13日、午後10時過ぎ、自宅近くの公園に出かけ、天を仰いでいると北から南へ、糸を引くように長い流星を一個見ることができた。その前に、短く消えそうなあかりも2つ流れたようにも思えたが、これは確証が持てない。期待に応えた幻影の流星だろう。
8月12日の10時頃が、今年のペルセウス座流星群のピークとされていた。しかし、雲があって諦めた。
そこで、昼間の青空を確かめ、今夜ならと思って出かけたのだが、たった一つでも流れ星を見ることができた幸運に感謝したい。
これまでにも、何度も降るような流星を見てきたのだが、今も飽きることなく夜空を見上げる。天文学者ではないが、夜空の星々を見るのは何と贅沢な遊びだろう。
王侯貴族も庶民も、健常者にも病人にも、全て等しく降り注ぐ光があるこの地上の平安を祈らずにはいられない。
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参考:
【ペルセウス Perseus】
ギリシャ神話の英雄。ゼウスとダナエとの子。メドゥーサを退治し,その首を手にして帰る途中エチオピアに来て,海の怪物に人身御供にされていたアンドロメダを救って妻とした。
【ペルセウス座流星群】〔Perseids〕
ペルセウス座 γ 星付辺を中心として放射状に飛び出す流星群。毎年8月12~13日頃を極大とする約10日間生じ,極大時には毎時約50個も出る。明るく,痕を残すものが多い。
2020.08.07(Fri)
歌なすはこころの疫病遊星にきぞ群靑の水涸れにけり
塚本邦雄
現代歌人「塚本邦雄」が生きていれば、今日、満年齢100歳になっていたはずである。
歌人、尾崎まゆみさんの『レダの靴を履いて』(書肆侃侃房)の後書を読んでいて、
ふと2020年は、塚本邦雄生誕百年にあたると気づき、せめてそれまでには本にしたいとおもいはじめたのが2017年秋。
とある、箇所に行きあたり・・・・なるほど、そんな数え方もあるのかと、バッハやベートーベンの生誕何周年なるを表現を思い出した。
確か、1980年頃の『週刊 サンデー毎日』連載の塚本邦雄生「俳句への扉 句々琳々」の中で、毎週のように詩歌人ばかりか有名人の「生誕忌」が記されていたと記憶する。
私が塚本邦雄先生に直接お目にかかったのは10回にも満たない。
しかし、尾崎まゆみさんは、大阪梅田のカルチャースクール開催の塚本邦雄生「定型詩百年の華」なる講座で毎月一度、1995年の阪神大震災まで十年余り、
「塚本邦雄その人から、短歌への、そうして言葉への情熱のシャワーを浴びるたびに、生き返ったような心地がしました。」
と、幸せな時間を過ごしていたようで、実に羨ましい。
そして、残念なことが一つ。
Google検索によれば、
昨今の新型コロナウイルス感染者拡大によって、今年開催予定だった玲瓏『塚本邦雄生誕百年記念會』も、来年の 2021年5月30日(日曜日)に延期になったようだ。
ただし、この事案も、新型コロナワクチンが開発され、疫病拡大が終熄すればのはなしではある。天なるものに、この世が平安を取り戻すのを願う他に、今の私には何の力もない。
詳細は、『塚本邦雄研究の會』
https://twitter.com/kuniokenkyu
#tankaknat #塚本邦雄 #塚本邦雄
#三枝昴之 #穂村弘 #寺井龍哉 #林和清
『レダの靴を履いて 塚本邦雄の歌と歩く』 尾崎まゆみ
http://www.kankanbou.com/books/tanka/essay/0374
インターネットの漢字制限により、どうしても正体字の「塚本邦雄」が表現できないので、
参考までに画像を表示。
Wikipedia でも「塚本邦雄」であり「塚本邦雄」にもなっていない。
従って、氏名や短歌での検索は実に難しい。
2020.03.30(Fri)
あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく滿ちたり
塚本邦雄
文庫版『塚本邦雄全歌集 第四巻』より
塚本コレクターの私は、歌集も全集も評論もほとんど持っているのに、それでも新装文庫が出るとまた欲しくなる。
Amazon.com からワンクリックすると簡単に手に入るので、その誘惑を断ち切るのはまず不可能。
令和2年1月10日発行の、この「文庫版 第四巻」も、また買ってしまった。
本体価格、2,300円。文庫315Pの薄さゆえ、もっと安くても良さそうなものだが、内容が内容なので、そこはぐっと我慢する。何故なら、私が初めて入手した塚本序数歌集の
第十歌集『されど遊星』が収録されているのだから。
注:知命〔論語為政「五十而知天命」(五十にして天命を知る)〕