轍 郁摩 |
欲りしものなべて手に入れその後の真裸のかみ何に恋ひせむ 紅あぢさゐ運ぶヴェニスの父と子の声似るゆゑに戦ひやまず ボッティチェッリ『春』の前にて空腹と疲労うつたへ名画あやふし 神は不在かヴェッキオ橋珊瑚店石階の奥鎚音もるる アッシジの天の剥落仰ぎゐてうつつ白緑「鳥にしあらば」 抱擁の鼓動におもひいたるとき恋とは死とは青春なりき 在らざればあらざるままに過ぎゆくを紅蓮の沼に夏風渡る 海神の白き彫像そそりたち滅びの後を唄ふ鯨よ 一足先に海芋買ひしめたるきやつが愛人とはいかなる未来ぞ 美しき戦(いくさ)も一世 靉靆の太刀なきわれら死後がおそろし 忘られて 愛のなごりのまなざしを鰐飼ふをとめ虚空に放つ 飽食にこころの飢を満たしつつ汝が病むためのくれなゐの酒 一人の師が昏々と眠り続け合歓の谷行くバス転落す ガラス炉の底抜け落ちて一日を青水無月の国を愛せむ |